この世にまだない
本当に必要とされる
商品を作りたい

アデッソは、単に機能が優れた、デザインが美しい商品を提供するだけでなく、商品を通じてお客様の生活を少しでも楽に、そしてより良いものにすることを目指して日々商品開発を行っています。
私たちは、さまざまな困難や悩みを抱えて生活している人達がいることを認識しています。しかし、日常生活を送るだけではそのような問題は見えてきません。実際にそういった方々の声に耳を傾け、現在世界に何が欠けているのかを考え続ける。このような思いに至った背景には私たちの実の祖母に起こった出来事がきっかけでした。

代表取締役社長 長谷川大悟

代表取締役社長 長谷川大悟

取締役副社長 長谷川賢悟

取締役副社長 長谷川賢悟

代表取締役社長 長谷川大悟

取締役副社長 長谷川賢悟

2018年3月、私たちの最愛の祖母「おばあ」がこの世を去りました。99歳でした。新潟県出身の彼女は、当時、女子で高校に入学する前例が少ない中、それでも勉強を全うし看護師になりました。戦争や新潟地震を経験したおばあには、“タフ”という言葉がぴったりでしょう。彼女ほど活発で元気な老人を私たちは知りません。

おばあと20年以上生活を共にする中で、彼女は毎日のルーティンである散歩、買い物をこなし、我々の助けなど一切必要としていませんでした。あの事故が起きるまでは。

すべてを変えた事故

2014年のことでした。祖母が散歩の途中自転車とぶつかり転倒したというのです。医師からは年末には覚悟した方が良いと言われるほど深刻な状況であったにも関わらず、おばあの持ち前の“タフさ”で乗り切り、幸い退院することができました。

しかし、これまでの生活が訪れることは二度とありませんでした。あのタフなおばあはずっと寝たきりの生活を強いられ、以前のような活発さが嘘のように消え、会話や思考のスピードも落ちていきました。次第に足腰の力がどんどん衰えていき、外を自由に歩くこともできなくなりました。

おそらく、彼女はこの現実に失望していたことでしょう。彼女は毎日の習慣をしっかり守り、時間通りの生活をしていたので、それができなくなるというのは日常を奪われるのと同じことなのです。どれほどつらかったことか、私たちには想像できません。あの時の事故は彼女の人生を180度変える転換期でした。

時間感覚が失われていく祖母

自由に歩けなくなったおばあに一人で生活をする能力はなく、事故から3、4年が経過した頃から私たちの母の介護が始まりました。基本的に介護は24時間、休みはありません。ある日、あれだけ頭がシャープだったおばあが毎日家にいるからなのか、日付の感覚がわからなくなり、時には母に1日に10回以上聞くこともありました。

曜日の感覚もなく、週1回月曜日のリハビリや日曜日のデイサービスも、何度別の日と間違えていたか数えられません。誰も来ないデイサービスの送迎を、荷物を持って待ち続けるおばあの姿も見たことがあります。

極め付きはある晩、夜中3時ごろ、1回から祖母の母の名を呼びながら、泣き叫ぶ声が聞こえました。1階に行ってみると、彼女は夜中の3時が午後3時だと思ったらしく、周りが暗く、そして周りに誰もいない状況にとてつもない不安を抱いたそうです。私たちもよく日曜日家にいると、仕事をサボったのか聞かれました。彼女はその日を平日だと思っていたのです。

このような生活を送ると脳が寝たきりになってしまうので、あらゆる感覚が曖昧になっていきます。ある日、おばあは彼女の出身地である新潟佐渡の民謡、佐渡おけさが聞こえると言いました。過去の記憶とオーバーラップし、夢と現実の狭間もわからなくなってしまったのです。

日めくり時計がおばあを変えた

時間、日付の感覚がわからない。それは祖母にとってとてつもない恐怖だったでしょう。腰も90度近く曲がり、耳も遠くなり、明らかに心身ともに弱っているのが伝わっていました。

ですが、彼女がつらいことはもちろん、介護する母にとってもとてつもなく大きい負担でした。幸い母はほぼ自宅での仕事でしたが、手が離せない時に祖母から助けを求められ、毎日毎日、何時、何曜日と聞かれる、いくら愛する家族といえどそれが一日に何度も、毎日続くとなるととても大きなストレスとなるに違いありません。母親も強い女性であり私たちの前で弱音を吐くことはありませんでしたが、明らかに心身の負担を負っていました。

家族全員が頭を悩ましていた時、ふいに紙の日めくりをデジタルで再現したアデッソの「デジタル日めくり電波時計」を渡してみると、以前が信じられないくらい、おばあがその日の日付、曜日を聞くのをやめたのです。その日からおばあは商品をかわいい我が子のようにして寝るようになりました。

日付、曜日の感覚がある、わからなくてもすぐに確認できるという安心感がどれほどおばあにとって大きなことだったか、想像できません。
この日を境に、おばあの精神も少し安定し、周りの家族も少し気が楽になったことを覚えています。

このような生活は1年ほど続き、祖母は天国へ旅立ちました。あの事故の時、誰しもが諦めていたにも関わらず耐え抜いた強いおばあ。私たちは、当時彼女が言っていた「オリンピックまで生きる」という言葉をどこかで信じていたので、彼女の死はあまりにも急な出来事でした。最後の何か月かは、彼女の人生で最もつらかった時だったでしょう。しかしそれは介護をする母も同じだったに違いません。

必要とする人に、
本当に必要とされる
商品をつくる。

当時を思い出し、あの時自分ができることはもっとあったのではないかとよく考えます。それと同時に、このような体験をしている方が日本中にたくさんいるんじゃないかと思うようになりました。

スマートフォンの進化によってあらゆる「モノ」が淘汰される時代。生活で使うあらゆるツールが1つのデバイスに集中しています。しかし、それだけでは解決できない問題や悩みが世の中にあるはずです。私たちはそういった表に出てこない問題を、直接当事者の方々や専門家の方にリーチし、直接お会いして、どういった問題があるのかを発見し、解決策を開発しようとしています。

実際に、認知症患者の方やその家族、聴覚に障害があり通常のアラーム音では起きられない方との出会いや共創から生まれた商品もあります。また、子どもの睡眠や時間管理など、まだまだ私たちにできることがあると考えています。本当に困っている人々やその周りの方の生活を少しでも良くしたい。そのために、あの時、日めくり時計を使って少しでも時間や日付の感覚を取り戻してくれたおばあのように、人々に喜びをもたらしたいと思います。

これからも、悩みを持っている方々に対して、世の中にまだないソリューションを商品を通して提供し続けたいと考えています。そういった想いを持って、これからもものづくりに励んでいきたいと思います。